とある「何かを我慢しまくる」について
何かを我慢しまくると、本当に様々な事柄が頭の中で透けて見える様になる
それは距離も関係無く、遠い場所の事も、近い場所の事も、そのどっちでもない場所の事も、もちろん目前の事も、そして過去の事も、それは嘘みたいに鮮明に
それは時に美しく、時には残酷で、時に心底哀れで、時にはどうしようもない事ばかりで、ぶっちゃけ何とも心臓には悪い事ばかりだ
で、何が書きたかったのかと言うと「それに何の意味があるのか?っつー事」&「それによって引き起こされてしまう身体的症状」を今後の戒めと言うか指針として挙げておこうか、と
まずは何の意味があるのか?と言うと、大体の物事の筋道や計画や成果が予め分かる様になるっつーのが最大のメリットかな、と
で、そこのデメリットは単純
それが誰かに伝わらない&理解されないってトコか
まぁ、そこは出来る限り地道に努力を続けて頑張る他に選択肢は無い
たまに稀な理解者や協力者が現れる
そんな人達は老若男女問わず、生涯感謝の気持ち&関わる度に何かを返す気持ちを忘れちゃいかん
で、途中で裏切ったり、消えたり、逃げたり、落ちぶれたりした存在は心から削除してok
場合によっちゃ具体的な復讐の方法も考えておいた方が、この世を人として生きるならば吉だろう、多分
…んで、ここからはあまり書きたくないが、様々な事を我慢しまくる事によって引き起こされる(もしくは、引き起こされてしまった)身体的症状について
これは本当にどう取り繕っても全く洒落にならん鬼気迫ったと言うか、何の冗談も慰めも労りも通じない感じである
まずは第1段階、偏頭痛から始まる、意識が常に重たくなる、寝てる間も嫌な夢ばかり見て魘される、疲れが取れない、ストレス&栄養失調で激ヤセする、自殺願望が常に頭にこびり付いたまま離れない、そのサイクルが不定期でずっと続く(俺の場合はこの世に生まれてから24歳までそうであった)
で、第2段階、それは例えると背中と胸がくっ付きそうなほどの呼吸困難に陥る、何処に出向いても吸える酸素が薄く感じる、あらゆる場所で嘔吐が止まらなくなる、平常心を保つのに非常に苦労する、頭の血管が詰まる、いきなり糸が切れた様に倒れる、身体が痙攣してしばらく動けなくなる(ここで倒れる場所や打ち所が悪いと死亡する確率が高い)、病院で脳梗塞と診断される…もう順に思い出しながら書くのも嫌になってきた(遠い目)
っつー何とも、もう2度と繰り返したくない流れが確かにあった
んで、えーっと、何だっけか?
あ、そうだ、で、それらを一瞬浄化するには京都の大徳寺に出向くと良かったよ、と
まぁ、行っても色々と納得する事があるだけで、その後も日常生活に戻ると苛立ちやストレスや怒りの感情とは向き合い続けにゃならんけどよ
少しは心が救われる
その「少し」が大切
あくまでも俺の場合
以上
(。-∀-)y-~