2020/「たまに」の詩
たまに基本を示すから場が静まり整う
それはやり手の整体師の様に
たまに幸福を示すから心が踊っちゃう
それは真の平和主義者の様に
たまに愛情を示すから思い出してしまう
それは偽善面の詐欺師みたいに
たまに夢を示すから激しく振り回される
それは応援席の御贔屓チームサポータータオルみたいに
たまに数字を示すから正しい事が歪む
それはとある博士が愛した数式と真逆みたいに
たまに現実を示すからあるがままの世の中がビックリして起きる
それは救い様の無い関係にピリオドを打つみたいに
たまに悪夢を示すから頭の血管が詰まりそうになる
それは呼吸困難に無慈悲に拍車をかけるみたいに
たまに自我を示すから哲学者達が悦ぶ
それは待ち望んだ稀なサンプルが捕獲されたみたいに
たまに素直を示すから本当の姿が浮かび上がる
それは其々の子供の母親の優しい願いみたいに
たまに暴力を示すから誰かが怯える
それは必要の無い邪魔な形を闇に葬り去る様に
たまに狂言を示すから生きた真実がドクドクと脈を打つ
それはアドレナリンが全開放出されて止まらないみたいに
たまに政策を示すから今後のベクトルが決まる
それが正しいか間違いかは分からずに
たまに予想を示すから興味を持たれる
その中身が全て自己責任で成り立っている事も知らずに
たまに馬鹿を示すから賛否両論が巻き起こる
それが健康的なら許されるとでも勘違いして
たまに普通を示すから平常心の重要度が増す
それが全ての積み重ねの理想メンタルならいい
たまに希望を示すから目が輝く
それで何度騙されたか思い出そうともせずに
たまに笑顔を示すから呆れられる
それが分かってればソレが逆になる
たまに微笑みを示すから愛しくなる
それだけはどうしようもない
たまに美味しいを示すからお腹が減る
それが食欲を突き抜けた新しい扉のドアだとも告げずに
そんな「たまに」の詩